こんにちは!パーソナルトレーニングジムVision(ビジョン)です!
今回は大須店から見える大須観音をご紹介します!
歴史
そもそもは建久年間(1190年 – 1199年)に建立された尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)にあった中島観音が発祥であるそうです!
元亨4年(1324年)に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建される。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺とその塔頭宝生院が当寺の始まりである。そして、摂津国四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとする。その後、後村上天皇により伽藍が建立され、勅願寺となっている。
3代目住職である任瑜法親王の時には寺領1万石となり、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6か国の真言宗寺院を末寺としている。
慶長17年(1612年)、徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正成によって宝生院は本尊や真福寺文庫と共に大須郷から現在地に移転する。
文化12年(1815年)には五重塔が建立され、空海が彫った愛染明王像が五重塔内に安置された。1892年(明治25年)3月21日には、境内にあった宝生座(芝居小屋)裏手からの出火(大須の大火)により本堂、五重塔と仁王門を焼失した。同年4月には大須の大火で焼失した本堂、五重塔、仁王門を再建する為、「再建寄附金帳」という帳が書かれた。帳の内容には再建のために本堂、五重塔、仁王門の建地割図(設計図)が描かれ、本堂、五重塔、仁王門に関する再建内容が5丁で記されていた。大須大火後に本堂と仁王門は再建されたが、五重塔は再建されなかった。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で2度目の焼失。戦後の1949年(昭和24年)に仮の本堂と仁王門が建てられ、大須の人達や関係者から大須のシンボルである大須観音の早期の正式な本堂の再建が期待された。しかし、資金難で再建が大幅に遅れ、1970年(昭和45年)に鉄筋コンクリートで再建し現在に至る。また、当初の再建計画では回廊や五重塔も建設予定であったが、建設資金として当てにしていた浄財がなかなか集まらず、建設は中止された。以後、五重塔などの再建は現在にいたるまで立ち消えた状態である。
戦前まで大須観音以上に大須で大いに栄えて賑わっていた寺は、七堂伽藍で有名であった七寺であった。大須観音も七寺も空襲で焼失するが、戦後、七寺の七堂伽藍は再建の期待はあったものの再建されることはなく、現在では大須観音が栄え、大須のシンボル的な寺院となっている。
深い歴史があるのですね!!
皆様もトレーニングをしながら大須観音を眺めてみませんか❓
思い出は
重いで!
また次回の投稿で!!
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